小学校低学年の頃から母ちゃんのマンコに興味津々だった変態男の告白がやばすぎる件……w


 

 

れが子供の頃は風呂がある家などほとんどなかった。
だからおれの家も含め、隣近所ではどこも夕方になると家族そろって銭湯に行ったものだ。
 

 

(イメージイラスト1)

 

おれは小学校三年生くらいまで母や姉と一緒に女湯に入っていた。
性欲には目覚めていないから女の裸に興奮もないのだが、ひとつだけいつも気になっていたことがある。
 

 

それは姉の股間についているものとおれの股間についているものがどうして違うものなのだろう、ということだった。
姉もまだ子供だったからタイルの上に股を広げて座ってしまうのだが、そうするとおまんこがぱっくり開いてしまい、おまんこの上の方に突起があるのまで全部見えてしまう。
 

 

(イメージイラスト2)

 

れはその突起が気になってならなかった。
クリトリスというものだと後で知ったが、その頃は、あれはいったい何だろうと思い、いつもそこばかり見ていた。
 

 

そして、母も女だから、母にもあれがついているのだろうか、と、母のそこも観察したが、残念なことに母のものは見ることができなかった。
姉のように股を広げて座ることはなかったからである。
 

 

ただ、母のおっぱいやお尻、陰毛などはいつも見ていた。
子供の目から見ても母のおっぱいは他の女の人より大きかったし、それに母はスタイルも良かった。
 

 

から思えば本当にもったいない話しである。
あのときもしおれに性欲が芽生えていれば、毎日めくるめくような興奮を覚えたことだろう。
 

 

母のおまんこだって何としても見ていたはずだ。
今でも遠い昔に見た銭湯での母の裸体をおぼろげながら思い出すことはできる。
 

 

お湯に濡れた白い肌もむっちりした太股もよく覚えているが、しかし、細部まではどうしても思い出せない。
おっぱいは大きかったが、しかしどんな張り具合だったのか、乳首はどうだったのか、陰毛もどんな具合に生えていたのか、などといったことはほとんど思い出せない。
 

 

れは、それが残念でならない。
おれが中学一年のとき家が改築され、やっと我が家にも風呂ができたのだが、その頃こんなことがあった。
 

 

おれが風呂に入っていると、突然母が風呂の戸を開けて中に入ってきた。
風呂場に何かを置きにきたのか、取りにきたのか、よく覚えていないのだが、とにかく母が入ってきたのだ。
 

 

母はまだおれが小学*くらいの感覚だったらしく、「ちょっとごめんねー」といった感じだったし、おれもまた、すでに性欲は芽生えてはいたが母を女とは意識していなかった。
母が戸を開けたとき、たまたまおれは湯船から出ようと立ち上がったところだった。
 

 

らっ」と、母がおれの股間をのぞき込んだので、おれはドキッ、とした。
何が「あら」なのかわからないが、もしかしたら数日前から始めた自慰、つまりセンズリのことを母に気づかれたのではないかと思ったのだ。
 

 

当時はまだ可愛らしいもので、おれはセンズリそのものにある種の罪悪感を覚えていた。
おれがドキドキしていると母はおれに歩み寄り、「明弘、何だか先のところが腫れているみたいだけど・・・・」そう言いながら息がかかるほど股間に顔を近づけてきた。
 

 

ああっ、やっぱりセンズリしていることがわかったんだ、きっと怒られる・・・おれはそう思ったのだが、母には息子のセンズリなどということは毛頭頭になかったらしい。
「どうしたの?どこかでぶつけたりしなかった?」と、心配そうな声で言うのだ。
 

 

も少し心配になって自分のものを見下ろしたが、どう見てもいつもと同じだった。
すでに女湯に一緒に入らなくなってから数年経っている。
 

 

体が成長した分股間も成長し、形だって変わっていたのだが、母はまだ幼いときのままだと思いこんでいたらしい。
手を伸ばしておれのものをむずと掴んだのだ。
 

 

あのときの驚きというのは、今でもよく覚えている。
もう立派に勃起するようになった肉棒を母に掴まれたのだ。
 

 

うしてだかわからないが、ちょっとショックだった。
それと、かなり恥ずかしかった。
 

 

「・・・べ、別になんともないと思うよ・・・」
「そお?それならいいんだけど」そう答えながらも、母はおれの肉棒を引っ張ったり持ち上げたりしている。
おれの肉棒はムズムズしてきてしまった。
 

 

母を女として意識はしていなかったが、それにしても母の指は自分の指とはまったく感触が違い、気持良かったのだ。
母の指はザラザラしていた。
 

 

いうのも、当時は瞬間湯沸かし器など家にはなく、母は真冬でも手が切れるくらいに冷たい水で洗濯や食器洗いをしていた。
長い間家族のために尽くしてきた母の手は、あかぎれてザラザラだったのだ。
 

 

ところが、そのザラザラした指が妙に気持ちいい。
そのうちに母が肉棒の裏側を見ようとしたらしく、グイッとひねった。
 

 

少し皮がめくれ、カリ首に近い部分に指が触れたのだが、そのザリッとした感触が堪らず、おれの肉棒は母の指の中でムクムクと膨らみ、完全に勃起してしまったのだ。
心の中を書くと(えっ・・・ま、まずいよ、あっ、待て、やめろ・・・ああっ、た、立っちゃった、どうしよう・・・)こんな感じになる。
 

 

すがに母も驚いたらしくパッ、と手を離した。
おれは母の前に裸で立ったまま、肉棒もつっぱらかして、こんなに恥ずかしかったことはない。
 

 

ようやく母もおれがそういう年頃になったことを認識したらしい。
少しの間気まずい空気が漂ったが、やがて母は、「ごめんね明弘、お母さん全然気がつかなかった」それから、慌てたようにおれから離れ風呂場から出ようとしたのだが、言葉が足りないと思ったか、「それは成長した証拠だから気にしなくていいのよ」そう言った母の顔は頬が赤らみ、おれと同じでかなり恥ずかしそうだった。
 

 

ただ、思い過ごしなのかどうか、そのときの母の顔には、微妙に艶めかしいものが含まれていた。
後にも先にも、母に肉棒を触ってもらったのはこれ一回きりだ。
 

 

はもう、こんなことは忘れているだろう。
しかしおれは、よくこの出来事を思い出す。
 

 

遠い昔に触ってもらった母の指の感触は、今でも忘れられない。
そして、もしあのとき、「まあ、こんなになっちゃって・・・」と言いながら母がにっこり笑い、あのままシコシコと擦って射精させてくれていたら、おれはどんなに幸せだったろう・・・などと思うのだ。
 

 

おれが小学校一二年の頃、ときどき布団に入ってから目が冴えてしまい、いつまでも眠れないことがよくあった。
その晩もおれは寝つけなくなってしまったのだが、寝よう、寝よう、と悶えているうちに隣りの部屋で話す父と母の様子がいつもと違うに感じられた。
 

 

だかいつもより声が弾んでいて、子供心にも艶めかしいものが伝わってきたのだ。
あの雰囲気は何だろう?と、おれは気になってますます寝られなくなってしまった。
 

 

その頃のおれの家は、八畳の部屋に家族四人で寝ていたのだが、おれと姉はいつも先に布団に入り、母と父はおれ達が寝入ってから布団に入るのがつねだった。
やがて深夜になり、父と母がふすまを開けて入ってきた。
 

 

「寝てるか?」
「だいじょうぶよ」おれと姉の様子を伺ってから、二人は服を脱ぎ出した。
まあ、ここまではいつもの通りだった。
 

 

時、おれの家ではパジャマなどは身につけず、皆上衣を脱いで下着で寝ていた。
前に寝つけなかったときに、ここまではおれも薄目を開けて見ていたことがある。
 

 

父はランニングとパンツで、母は昔で言うシミーズ姿になって布団に入るわけなのだが、その晩に限って、なぜか二人とも布団の中でさらに脱ぎ下ろすような音が聞こえたのである。
おれはこの頃に詳しい知識は持っていなかったが、漠然とは知っていた。
 

 

だから、父と母が下半身をむき出しにしているのだということは容易に想像がついた。
子供が知ってはいけないことがこれから始まる・・・・そう思ったおれは体を石のように固くし、寝入ったふりをした。
 

 

から思えば残念だったのだが、そのときはよかったと思ったのは、おれが姉を挟んで部屋の端に寝ていて、父と母には背中を向けていたことだ。
顔が父と母の方に向いていたらとても寝たふりは続けられなかったろう。
 

 

とにかくおれは、自分が起きていることを絶対に悟られまいと思った。
と、何か囁きあってから二人が抱き合ったのがわかった。
 

 

物音ひとつしない深夜だから、衣擦れの音がやけに大きく聞こえる。
おれはますます体を固くし、息さえも止めて聞き耳を立てた。
 

 

ると、突然クチャッ、クチャッという音が聞こえてきた。
おれは驚いてしまった。
 

 

本当にクチャッ、クチャッ、という音なのだ。
(なっ、何だろうこの音は・・・)とにかく嫌らしい音で、幼いおれにとっては衝撃的だった。
 

 

後から思えば、二人は布団に入る前から興奮していて、母はすでにあそこを濡らしていたのだ。
しかし、そんなことはわからないから、いったいどことどこを合わせればあんな音がするのか不思議だった。
 

 

かも、クチャッ、クチャッ、という音に混じって、かすかだがギシッ、ギシッ、という音も聞こえてきた。
それらの音がだんだん激しくなり、おれにはクチャ、クチャ、という音とギシッ、ギシッという音が部屋中に響いているように感じられた。
 

 

やがて父が「うっ、うっ」と呻き、母も「あふー」という吐息を漏らして行為は終わった。
何か囁きあってから二人は離れ、ガサゴソと下着をつける音が聞こえてきた。
 

 

二人の寝息が聞こえてきてからも、おれはいつまでも眠れなかった。
かなり昔の思い出である。
 

 

のとき、おれは父と母があんなすごい音をたてて抱き合ったことがショックだった。
神聖な母の像にひびが入ったような気がしたのかもしれない。
 

 

しかし、おれは、あのときの音を忘れられない。
いまでもあの音を思い出すと興奮する。
 

 

クチャッ、という音もいやらしかったが、おれにはあのギシッ、という音の方に強烈な印象がある。
あのギシッ、という音は母のおまんこがが父の肉棒を強く締めつけた音だったのだろう。
 

 

れもあんなふうに、母にギシッ、と肉棒を締めつけられてみたい・・・そんなふうに思い、おれが近×××の小説やAVに異様に興奮するようになったのは、あれがきっかけだったのだと思う。
母にまつわるエッチな思い出はまだある。
 

 

中*生のとき母に肉棒を触られたこともあったが、実はおれ自身も母のあそこをわし掴んだことがある。
と言っても直接ではなくスカートとパンティの上からだし、まだおれが小1のころのことだ。
 

 

おれの母は家族の寝る布団をいつもこまめに干していた。
その、一日太陽を浴びた布団というのは、家の中に取りこんだときとてもいい匂いがする。
 

 

れは、取り込まれて積み重ねられた布団の上に、飛び込むようにしてゴロゴロと転げ回るのが好きだった。
その日も、おれは布団にまみれるようにゴロゴロしていたのだが、それを見つけた姉が「あーっ、またやってる、お母さーん、明弘がねー」と母に言いつけた。
 

 

といって怒っているわけではない。
姉も一緒になって同じことをするのだが、そうやって母を呼ぶと「こらーっ、悪い子はどこだー」と、母も怒ったふりをして鬼ごっこのようなことをしてくれるのである。
 

 

母が「こらー」と言いいながら駆けてくると二人ともうわー、きゃー、と叫びながら逃げ回り、捕まりそうになるとみんなで布団のなかに倒れこむのだ。
そんな遊びができたおれの家庭というのは、けっこう幸せな家庭だったのだと思う。
 

 

んな鬼ごっこがときどきあったのだが、その晩のおれは、鬼ごっこが始まったときからチャンスがあったら母のあそこを触ってやろうと思っていた。
というのも、その日も銭湯で姉のあそこを見たおれは、母のものも見ようとしたがやはり見られなかった。
 

 

それで、見られないなら触ってみたいと思ったのである。
いつものようにわーわーきゃあきゃあ言いながら逃げ回り、3人で何度か布団に倒れ込んだあと、自然とおれが追いかける番になった。
 

 

次に倒れこんだとき、母の腰にしがみつくような体勢だったおれは、はしゃぐフリをしながらスカートの上から母の股間をわし掴んだ。
すくい取るようにぎゅっ、とわし掴んで、あれ、間違ったぞ、というような感じですぐに手を離したのだが、その時の記憶というのは(すごく柔らかい・・・)というものだった。
 

 

念ながらふっくらとしてとか、むにゅっとしてとかの細かい記憶はないが、とにかく柔らかいと思ったのは確かだった。
その柔らかさに驚いたことも覚えている。
 

 

何しろ小学校に上がる前のおれの小さな手だから、ほんの一瞬だが手の平は全体をすっぽりと包み込んだ。
おれは(たまたま掴んでしまったが、まったくの偶然だ)という振りをしてとぼけていたが、母はおれの好奇心に気づいたらしい。
 

 

立ち上がったとき真っ赤な顔でおれを見つめ、何とも言えない表情をした。
息子が母の体に興味を持っていたことが少しショックだった。
 

 

かし、注意したいのだが言葉がみつからない。
本当は怒りたいけれどどこか恥ずかしくて怒れない・・・母はそんな思いでおれを見つめたと思う。
 

 

いや、もしかしたら睨みつけていたのかもしれない。
そしておれは、そんな母の顔にドキッとした。
 

 

なぜドキッとしたのかそのときはわからなかったが、あっ、怒られる、とは思わなかった。
だからたぶん、赤面し、複雑な思いを浮かべた母の顔に艶めかしさを覚えたのだろうと思う。
 

 

のためか、母のその表情は今でも鮮明に覚えている。
これはおれが成人して家を出てからのことだが、あるとき友人達と温泉旅行に行った。
 

 

その温泉はおれの実家に近いところだったので帰りに寄ることにしたのだが、突然友人達を連れて立ち寄ったおれを母も父も喜んで迎えてくれた。
まあ、そこまではいいのだが、実家を出て帰路についた車内で、「明弘のお袋って美人だな、年はいくつ?」と友人の一人がおれに聞いてきた。
 

 

「47か8くらいだと思う」
「そうか、ちょうどいいな」
「何が」
「いやあ、十分やれるっ、と思ってさ。明弘のお袋っておれのタイプなんだ」
「・・・・・」
「だって明弘のお袋って美人だしさ、おっぱいがでかくてすんごくそそられるんだ。あのおっぱいに顔を埋ずめてみたいよ・・・」
「・・・・」別の友人がたしなめて止めてくれなかったら、おれは嬉しそうに喋るそいつを殴っていたかもしれない。
 

 

にかく不快だった。
腹も立った。
 

 

あのときなぜあんなに怒りに駆られたのか考えてみると、理由は二つあったと思う。
一つは、おれにとって母は、誰にも、絶対に、汚してほしくない存在だった。
 

 

その母が(おれ以外のやつの)性欲の対象にされたことが悔しかった。
もう一つは、一瞬、そいつに母が犯されている場面が頭に浮かんだことだ。
 

 

のときおれは、不快感や怒りのほかに胸を締めつけられるような哀しい気分も味わったような気がする。
たぶん、そいつに母を奪われてしまうような気がしたのだろう。
 

 

そういえばもっと小さい時にも同じようなことがあった。
おれの母の実家に婚礼の祝いで親戚が大勢集まったときのことだ。
 

 

母の妹の旦那が、ベロベロに酔っぱらってあたりかまわず親戚の女の人をくどき始めた。
酒癖の悪いことは知れ渡っていたので「あーあ、また始まった」と皆適当にあしらっていたのだが、どういうものかおれの母は「そうですか、はい、ああ、そうですね」とまじめな顔で聞いてやっていた。
 

 

のときおれは、妹の旦那が他の人には聞こえないような小声で「節子ちゃんとやりてえ」と言ったのを聞いてしまった。
何をやりたいのかはわからなかったがそいつが一瞬見せた何とも嫌らしい表情におれはかなり不快なものを覚えた。
 

 

母は表情を変えずニコニコしていたが、それが逆に嫌だった。
何か怒りのようなものが込み上げたのだが、あのときもやはり、おれは母を奪われてしまうような気持ちを味わっていたのだと思う。
 

 

ところが、不思議なことに、その母を奪われてしまう悔しさとか寂しさ(実際に奪われたわけではないが)を思い出すと、なぜか自慰をするとき快感を高めてくれることにおれは気づいた。
胸が張り裂けそうになるのに、母が誰かに犯されているところを想像すると射精のときの快感がすごいのだ。
 

 

んなんだろうな、これって・・・。
まあ、とりとめもなくダラダラ書いてしまったが、そんなわけでおれは、今でも時々、母親が息子の前で犯されるAVを見ながらシコシコやっているのである。
 

 

 


 

 


 

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