いくつになっても若くてきれいな俺の母親→勉強のストレスを体で解消させてもらってましたw


 

 

日、僕は母に連れられデパートに行った時に、クラスの友達に会ったんです。
「珍しいな!買い物?あれ、おまえのお母さん?」
「うん」
「若いなぁ!それに凄く色っぽいなあ」
「そうかぁ?」中学になり、女性に興味が湧く年齢です。
 

 

(イメージイラスト1)

 

僕も親に隠れてエッチな本やDVDを見てオナニーをしたりしていました。
しかし母親を女性として見た事はなかったんです。
 

 

友達の視線に凄い厭らしさを感じながら母親を見ると、確かに肉付きの良い下半身に豊満な胸と色気がムンムン漂っていました。
それがキッカケだった様に思いますが、それから僕は母親を女性として見る様になり、やがて母親をオカズにオナニーをする事も増えたんです。
 

 

(イメージイラスト2)

 

ょっと話しは変わりますが、僕は中2になったころからクラスでイジメを受けるようになりました。
小太りで何をやってもドジな僕は、イジめるには格好の相手だったのかもしれません。
 

 

それが原因で僕は学校へ行くのが嫌になりました。
不登校とまではいきませんでしたが、よく学校を休むようになり、部屋に籠ってゲームやネットで時間を潰すようになりました。
 

 

優しい母は「タクちゃん大丈夫!何処か痛いの?」と声を掛けて来ますが、僕は「別に」と部屋から出る事を控えていました。
ベッドに横になる僕は、エッチな動画や画像を見る機会も増え、オナニーに深ける時間も増えました。
 

 

は現実逃避する様にゲームやネットで楽しみながらストレスを発散させていましたが、何をやっても解消する事はありませんでした。
そしてついに、僕は母が部屋に来た所を襲いかかってしまったんです。
 

 

ベッドに押し倒した母の両手を前に買っていた手錠でベッドに固定し、僕は母親の胸ボタンを取り巨乳の生乳を剥き出しにさせました。
「タクちゃん!どうしたの!ダメ・・・親子なのよ」
「うるせ~んだよ、ムシャクシャしてるんだから!好きにさせろよ」
「お願い!こんな事しないで・・・」僕は母の言葉を無視し、柔らかな豊満な胸に顔を押し付け、乳首に吸い付いたんです。
 

 

何とも言えないいい匂いにウットリしながら、僕は嫌な出来事を忘れ初めての女性の裸体に夢中になって行ったんです。
母も近所の事を考えると大きな声を出す事も出来ず「タクちゃん!お願い、もう終わりにして」を繰り返すばかり。
 

 

は母のスカート捲り上げ、パンストとパンティに指を掛け、一気に引き下ろしました。
黒々と多い茂った陰毛の中にぷっくらと膨らむマン肉!その割れ目には薄らと透明な汁がテカテカと光って見えた僕は母の太腿を大きく開かせ、おまんこをじっくりと観察したんです。
 

 

「タクちゃん!見ないで・・・恥ずかしいわ・・・」
「お母さん!凄い濡らして・・・僕のが欲しいんでしょ」
「タクちゃんそれだけはダメ!入れちゃダメよ」パソコンで何度も見た女性器ですが、生は初めてです。
母のおまんこは陰毛で覆われ、襞が薄黒く割れ目の中から透明な汁が溢れていました。
 

 

僕は無我夢中で母の陰部に吸い付き、慣れない手つきで指を出し入れしました。
眼界だった僕のチンチンはパンツの中で射精し、その汚れたチンチンを母の口へ運び無理やり口に押し込んだんです。
 

 

のフェラチオに僕のチンチンは大きさを保ち、僕は大きなチンチンを母のおまんこへ押し入れたんです。
生暖かい初めての感触!母のおまんこが僕のチンチンを締め付けて来て、僕は遂に2度目の射精を母の中で出す事になったんです。
 

 

気づけば外は薄暗くなり、夕食時間になっていました。
息を荒らす母は、僕が3度目の挿入と同時に絶頂を迎え、息子の前で逝ったんです。
 

 

その後も何度も絶頂が訪れ、何度も僕にしがみ付き体を震わせていました。
父とも暫く無かった様で、母も男を欲していたんでしょうか?涙ながらに母は部屋を出て行き、風呂で体を洗い流すと、夕食の準備を始めていたんです。
 

 

し訳ない気持ちと同時に、嫌な事が全て忘れられる感覚に、僕は何かが壊れた様に感じました。
夕食中はお互い終始無言で、母は俯き加減のまま食べ終えた食器を片づけ始めていました。
 

 

その日から、僕は昼夜を問わず母の体を求める様になっていました。
そして母が「タクちゃんが好きな時に相手するから、学校には行って頂戴」と言うので、僕は学校に行く事にしました。
 

 

この事がキッカケで、僕は何かが変わったんだと思います。
イジメをしていた奴らに、僕は抵抗する事が出来る様になり、彼らは僕に関わる事を止めたんです。
 

 

れから6年を迎え、僕はいま大学1年(19歳)になります。
無事に大学に入れたのも、いま平穏にくらしていられるのも、全部母のおかげだと思っています。
 

 

 


 

 


 

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