床屋の家に生まれた俺は、親父が客の髪を切ってる最中に実母と裏でガチセックスしてました


 

 

は55才の男性です。
もう昔の事ですが思い出話をさせてもらいます。
 

 

(イメージイラスト1)

 

私がまだ20代で独身の頃の話です。
我が家は理髪店を営んでいました。
 

 

私は店は継がずに別の仕事についていました。
店は親父と母の2人でやっていました。
 

 

(イメージイラスト2)

 

時は母まだ40代でした。
私から見ても何となく魅力がありましたから、店に来る客も母目当ての人が多かった様に思います。
 

 

実はそのころ、母といつかしたいと秘かに考えていました。
やがてその思いが暴発しました。
 

 

親父が店の閉店後寄り合いで出かけた留守の間に力ずくで、母を自分のものにしてしまいました。
無論母は激しく抵抗しました。
 

 

かし男の私の前ではどうしようもなく、近所の手前助けを呼ぶ声も出せません。
結局は私の餌食になってしまいました。
 

 

畳の上に母を押し倒し下半身を全部脱がすと目的を果たしました。
母は暫くはその畳の上で魂が抜けたようにだらしなく横たわっていました。
 

 

私は急いでズボンを引き上げていました。
ゆっくりしてる暇はありませんでした。
 

 

時間もすれば親父が戻ってくるからです。
しかし、母は相変わらずの放心状態でした。
 

 

仕方なく私は母に言いました。
「親父が帰ってきちゃうよ。こんな事知れたら母さんも困るんだろ」そう言いますと、急に母は起き上がり、乱れた服装を直し始めました。
 

 

そして次に母が私にいいました。
「お願いだから今日の事言わないで・・・」必死に頼み始めたので、私は意外な感じがしました。
 

 

られるかと思っていたからです。
それを母は内緒にしようと言い出すとは。
 

 

母が負い目に感じたことが私から見ても良く判りました。
私の母に対する思いが、その負い目を利用したのは当然の事でした。
 

 

その事を理由に母に更なる関係を求めました。
母は心ならずも私の要求を呑みました。
 

 

いとは思いましたが、それ以上に私は母が欲しかったのです。
親父の目を盗んで母を抱く生活が始まりました。
 

 

自営の関係で親父は毎日の様に家にいます。
そう簡単に母と2人切りと言う事はありません。
 

 

当然、時間をつくるしかないのです。
一番安心して出来るのは月に一度の寄り合いの時です。
 

 

父が出かけるとすぐに店のソファーベッドで母を裸にして抱きました。
寄り合いは1時間半位は掛かるので十分時間はあります。
 

 

寄り合いに出かける前、仕事の後片付けとして親父がベッドを直し、それを私達がこっそり利用させてもらっていました。
意外や意外、母はそのベッドで思いもしなかった様な反応を見せました。
 

 

親父が普段使う所で息子に抱かれる罪悪感が母を異常なくらいに興奮させたようです。
しかし、出来るのは月に一度です。
 

 

ックスがしたい盛りだったので、とても足りませんでした。
次に考えたのが店の横の2畳ほどの狭い部屋です。
 

 

普段は食事をしたり横になったりするスペースですが、一応は扉もあります。
食事の時などは内側から閉めることができます。
 

 

店が混んでくれば声が掛かりますから、つまり、それまでは中で何をしていても大丈夫と言う事です。
非常に危険ですけどその部屋を利用しました。
 

 

や夜、ほとんどは夜の時が多かったですが、その時に扉を閉め切った状態にしておきます。
母は下着を付けたままでするようにしました。
 

 

おまんこを覆っている部分を横にずらしてそこから入れます。
しかも私の膝の上に乗せて。
 

 

テレビをつけておけば少し位の声は心配ありません。
膝の上に母を乗せ、胸元を捲り上げて乳房を愛撫します。
 

 

には家の中ではブラジャーはつけないように言ってありました。
パンツもそんな訳で大き目のモノにしました。
 

 

ちいさいものですとやりにくいからです。
声が掛かったらすぐに離れれば済むのです。
 

 

私のチンポは隠すしかないですが。
ハラハラしながらもそれで何とか関係を保つ事が出来ました。
 

 

第に母も私を受け入れるようになりました。
当然だとは思いました。
 

 

母を満足させていたのは私だったからです。
母曰く、親父とはあまり無かったようで、私とするのがほとんどだと言っていました。
 

 

寄り合いの時の全裸のおまんこは母も燃えました。
フェラチオも覚えてしてくれました。
 

 

でもあのときの感動は忘れません。
その母は今も健在ですが、さすがに高齢でもうおまんこはできません。
 

 

でも私を見る目は今でもあの時の母のままなのです。
 

 


 

 


 

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