美脚が自慢のウチのママは露出狂w太もも丸出しの超ミニスカートでスーパーをうろつき視線を独り占めw


 

 

が超ミニスカでスーパーへ買い物に行きスケベな男の買い物客があらゆる手で、スカートの中を覗く話です。
母は、42歳、年替えもなく、超ミニスカで買い物に行き、足は細く、脹脛がふっくらとして、足フェチで熟女好きな男は、堪らないセクシーな足をしていました、私、三番目の息子で5歳でした、いつも、母の自転車の後ろに乗って、母を見ていました。
 

現在は、42歳で5歳の頃を思い出して書いています。
母は気にせずに、いつものスーパーへ自転車をこいで買い物に行きます、通行人たちは、目を丸くして母の股間を見ていました、スーパーに着くと、ミニスカを直してスーパーに入り、買い物に行きます、男の店員たちは、「いつものセクシーなおばさんが来た」と評判でした、母が、カートを押して、私は、母の後についていました。
 

すると、男の店員が来て、母は、商品を選んでいると店員は、商品の箱をわざと、母の足元に置き、商品を並べながら、母の足元から見ており、スカートの中を覗くように、頭が足元へいき、下から覗いてにやりと笑いました、他の店員のところに行き、笑いながら話していました、おそらく「肌色のストッキングで白のパンティーが透けている」とか話していたに違いがありません。

 

そして、40歳ぐらいの客が、母に近づいてきて、母が高いところに商品があり、背伸びをして、ミニスカが上がり、お尻スレスレまで見えて、男の客は、しゃがみ下から覗いていました。
 

にやりと笑い、低い声で「見えた」と独り言を言っていました、そして、レジに並び、精算を待っているいと、20代の男の客が靴に小さい鏡を付けて、母の足の間に入れて、靴を動かしながら、ミニスカの中を覗いていました。
そして、買い物が終わり、スーパーの中にある、ソフトクリームのお店で、私は、ベンチに座り、ソフトクリームを食べていると、母もベンチに座り休んでいました、ベンチに座ると、ミニスカが上がり、パンティースレスレでしたので、足を組んでいました買い物客の男たちは、母の足を見ながら歩いていました、男たちの話で「あの奥さん、足がきれいだなぁー」と言いながら通り過ぎて行き、母をナンパする男もいました、「奥さん、お茶でもどうですか」と言うと、母は、無視をしていました、そして、私は、ソフトクリームが食べ終わり、立ち上がり、母の立ち上がろうと、組んだ足を崩そうとしたときに、男の視線が母の太ももで、パンティーが見える瞬間だったと思います、一斉に男達が立ち止まっていました。
 

母は、気づき手でミニスカを押さえていました。
そして、自転車に買い物をしたものをカゴに入れて、私を後ろに乗せて、母が自転車に跨いだ瞬間に、シャッター音が聞こえて、母のパンチラを撮っていたのです、母は、気づかずに自転車をこいで通り過ぎて、カメラを持った、20代の男たちが、「パンチラ撮れたぜ」と言っており、「あのおばさんの足触りたい」と通り過ぎる母の股間を見ながら、言っていました。
 

 

美脚が自慢のウチのママは露出狂w太もも丸出しの超ミニスカートでスーパーをうろつき視線を独り占めw(イメージイラスト1)

 

だんだんと妻も性の喜びがわかってくると、声をあげるようになった。
私は、隣の部屋で寝ている義母に気兼ねして、口を押えたり、声を出さないように言ったが、こらえても、やはり自然に洩れるのである。
 

そのうちに、義母の態度がだんだんと、私と妻に辛くあたるようになってきた。
ある晩、義母が肩を揉んでくれと言ったので、揉んであげた。
 

強すぎると言うので、力を弱めて揉んでいると、気持ちがよいのか、だんだん体が重くなり、沈んでいった。

 

それにつられて、半立ちになった息子をそっと背中にあててしまった。
 

はっとしてすぐに離れ、「もういいでしょう」と言って立ち上がった。
義母は「ありがとう」と言って肩を2、3回動かした。
 

2、3日後にまた肩を揉んでくれと言われたので、揉んでいるとまた同じような状態になり、2、3度背中へ軽く接触し、堪らずに、思わず妻の見えない反対側の手で、義母の腹を触った。
義母は「ふぅー」ため息をついたようである。
 

 

美脚が自慢のウチのママは露出狂w太もも丸出しの超ミニスカートでスーパーをうろつき視線を独り占めw(イメージイラスト2)

 

これ以上続けることは危険であるので「もういいですね」と言って離れた。
その夜は妻の身体を激しく求めた。
 

よがり声が、いつもより大きくなってきたが、かまわずに攻めた。
翌日の夕食後すぐに、また肩揉みを頼まれたので、妻が食器洗いをしているのをよいことに、今度は大胆になり、後ろから抱きつき、両手で腹から胸に触った。
 

義母は身悶えした。

 

日、妻のいない所で義母から叱られた。
 

「すみません。もうしませんから許して下さい」と謝り、セクハラ行為を恥じた。
 

次の日からは、心を冷静に保ち、なるべく離れて揉んだ。
数日後の日曜日の午後、妻が外出した時に、肩揉みを頼まれた。
 

 

邪心が起こらないように、離れて肩を揉んでいると、少し体をくねって媚態を示し、誘ってきたように見えたが、思い過ごしだと、心を鬼にして、揉み続けた。
すると今度は、背中が痛いので、背骨を押してくれと、うつ伏せになった。
 

上から両手の親指で背骨に沿って指圧した。
私の両股が義母の腰にあたり、リズミカルに触れるので、だんだん体が柔らかくなってきた。
 

私は、貴婦人を扱うように、そっと背中を撫でたり、横腹に触れたりしながら、指圧を繰り返したが、じっとして、気持ちよさそうにしていた。

 

次は足を揉んであげると言って、親指を優しく揉み、足の裏を軽く指圧して、ふくらはぎから、膝の上まで、ゆっくり優しく揉み上げて行った。
 

少し体をくねらせたので、添え寝する形で、後ろからそっと抱きかかえ、呼吸に合わせて、徐々に体を密着させて行った。
だんだん、二人の体は一つになり、溶け合って行くように感じた。
 

頬ずりをして、軽く頬にキスした。
体がとろけているのを感じたので、仰向けにして、上から優しく抱くと、「はぁー」と大きな息を吐きながら、抱きついてきた。
 

 

私は首に何度も優しくキスした。
それから、服のボタンをはずし、乳を求めた。
 

乳首を、舌を回しながら愛撫していると、「こっちもして!」と切なそうに言うので、反対側の乳に口づけした途端「うぅー」とうめいて、私の頭を強く抱きしめた。
乳がすむと、今度は腹を手で撫でた。
 

それから、だんだん下へ下りて行った。

 

毛優しく掻上げながら、更に下へと行った。
 

秘部はたっぷり濡れていた。
中指で線に沿ってそっと愛撫すると、足を少し開き、腰が動き始めた。
 

息づかいがだんだん激しくなってきて「もう入れて」と哀願した。
ゆっくり挿入すると、「あぁー」と小さな声を出して、しがみついてきた。
 

 

私は、ゆっくり動かした。
しかし義母は、狂おしそうに激しく動き回った。
 

私もそれに応えて激しく突いた。
二人は、お互いに相手の体をむさぼりあった。
 

そして「あっ!」と小さな声をあげて逝った。

 

やがて、息を吹き返したので、再び動かし始めると、前よりも一層激しく求めてきて、そして果てた。
 

とうとう犯してしまった。
終って「すみません」と言うと、「いいよ。
秀子には言わないから」と優しい声で言ってくれて、機嫌がよかった。
 

その後、妻のいない時を見はからってはつるんだ。

 

義母の態度は優しくなった。
 

間もなく、妻がお産で入院したので、気兼ねなく思いきりできた。
還暦近い年齢なので卒業したのだと思っていたが(当時、私は若かったので、そう認識していた)、中々盛んであった。
 

よく考えると、私が罠にはまったのだ。
しかし、義母は、休火山に火をつけたのが悪いと、私を非難した。
 

 

かし、とうとう妻の知るところとなり、二人が責められた。
私は「出産で、辛抱できなかった」。
 

義母は「世間に知れると大変だから、こらえてくれ」と言聞かせた。
その後も、この関係は続いたが、妻は諦めたようで、外で浮気されるよりはましと考えたのか、それとも、世間体を気にしたのかも知れない。
 

義母は、美人で、頭がよく、勝気で、プライドが高く、見栄っ張りで、冷たい感じの人だった。

 

身体は中肉中背で、胸と腰は大きかった。
 

亡くなった主人とは正常位しかしたことがなく、淡白なものだったそうです。
最初のうちは、騎乗位やバックを、娘に見つかったら恥ずかしいと、ためらっていたが、一度すると、欲望には勝てず、特にバックを好んだ(仕上げは正常位)。
 

騎乗位も彼女の性格に合っていて、喜んでした。
さすがに大きな声は出さないが、息づかいと、腰の振り方は凄かった。
 

 

義母に、娘のよがり声が聞こえるかと聞いたら、「当り前でしょう」と答え、最初、淫乱ではないかと思ったが、わかるようになったと言った。
これも、私が悪いことにされた。
 

それで、「いい婿をもらったね」と言うと、甘えた目で睨んで私の腕を抓った。
義母は、昼の顔と、夜の乱れ方の落差が大きいので、それからは、女性への見る目が変わり、貞淑そうな人を見ても疑うようになった。
 

しかし、他人に手を出すことはできないので、専ら自家で処理して満足した。

 

私は、外では品行方正で通っていたが、これでは、あまり人のことは言えない。
 

こちらは二人掛け持ちで身体が持たない。
そのことを義母に言うと、気を使って栄養のあるものを、私にだけ特別に食べさせてくれるようになり、酒も飲みたいだけ飲ませてくれた。
 

妻には不自由させられないので(義母は、私の要求を仕方なく受け入れている、という形をとっていたので)、義母の方を制限した。
が、その分、義母は激しく求めて来た。
 

 

までしゃぶられるようで、思わずうめき声をあげ、引きずり込まれて行った。
非常に疲れたが、深い喜びを味わった。
 

私は、当初、義母が怖かったが、今では怖くないと妻に言うと「女はアレには弱いからね」と言って笑った(隠していても、娘は母の本心を知っていたのだ)。
これも、年とともに義母は衰え、そして亡くなった。
 

代わって妻が親に似てきて激しくなった。

 

それも今では回数も減り、だんだん終りに近づいているようです。
 

 

 


 

 


 

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