一個下の女の子、愛美ちゃんとしたエッチな思い出。あの頃はピュアだった・・・


 

 

う、十数年前の話になるんだけど、4年生になるとき、俺は父親の転勤に伴って、東京から中部地方の人口10万のある町に引っ越した。最初に住んだのは社宅で、敷地内には2階建てのユニットが二つずつ組になってくっついた建物が、数軒ほど立っていた。

 

ういうわけか空き家が多く、うちの隣も空いたので、物置代わりにつかわせてもらっていた。仮住まいということもあって、荷物の多くが、ダンボール箱に入ったまま、隣のユニットに詰め込まれていた。

 

きなタンスやら、家具やら、ダンボール箱やら、とりあえずいらないものが雑然と、詰め込まれたその空き家は、俺の格好の遊び場になった。社宅には、年が同じくらいの子供が何人かいた。

 

は皆とすぐ仲良くなり、学校から帰ってくると、いつも一緒に遊んだ。特に気があってよく遊んだのが愛美ちゃんという一つ年下の女の子で、隣の建物に住んでいた。

 

女は、成長が早く一つ下ながら、俺よりも体が少し大きかった。おてんばで、いつも男の子いっしょに走り回ったり、いろんなところによじ登ったりして、肉付きのいい体は、よく日に焼けていた。

 

の頃は俺たちの間で流行っていたのは缶蹴りだった。鬼に見つけられて名前を言われたら、つかまってしまう。

 

かが鬼が名前を言う前に缶を蹴ったら捕まった子はみんな逃げられる、という遊びだ。そのうち皆、鬼に見つかってもすぐに誰かわからないように服をお互い取り替える「服替え」をするようになった。

 

の子同士、女の子同士でどっかに隠れては服を取り替えていた。あるとき、愛美ちゃんと俺は一緒に社宅の敷地を囲うコンクリートのブロック塀の外側に隠れた。

 

の外は、畑になって開けていたが、塀に沿って植え込みがしてあったので、格好の隠れ場だった。彼女は、俺に「『服替え』しようか」といってきた。

 

の子と女の子の服だから絶対間違えるだろうと言って興奮気味だ。でも、今まで誰もそんなことをしたことが無かったのだ。

 

は女の子の服をきるなんて考えただけでも気恥ずかしかった。俺がなかなか踏み切れずに躊躇しているうちに、彼女は「ここの木の陰だったら見えないからいいじゃん。脱いだらここにおいて」といって草の生えた地面を指差した。

 

して、彼女は植え込みの中に入って、ごそごそと自分の服を脱ぎ始めた。俺も仕方なくシャツ半ズボンを脱いで、指定された場所に置いた。

 

の子のシャツを着るのはなんか不思議な気分だった。思った通り少し大きめだった。

 

してスカートも履いてみた。めちゃくちゃ恥ずかしかった。

 

して、あれ、まだ何かあるぞ、と思って拾い上げたのは、なんとブルマー。その頃、子供心にも、女の子のブルマー姿になんとなく性的なものを感じていた俺は、愛美ちゃんのブルマーをみて異常に興奮してゾクゾクした。

 

がそこで何を言ったか定かではないが、「スカートの中が見えたら困るから」という変な理由づけをした彼女の言葉を今でも覚えている。俺は顔を真っ赤にしながらぴったりとした彼女のブルマーをはいたら、中でオチンチンがカチコチに堅くなっていたのも覚えている。

 

女はと見ると、俺の服の中で窮屈そうだった。俺の半ズボンはぴちぴちで、彼女の太腿にギュウっと食い込んでいた。

 

て、その時の缶蹴りがどういう結末になったかは覚えていない。でも、それを境に、二人で隣の空き家に入ったりすると、「服替えの練習」と称して意味もなく服を交換して遊ぶようになった。

 

にとっては、女の子の着るものを着るという行為自体が興奮の材料になって、ドキドキしてそれがたまらなかった。そのうち、俺たちは、下着まで全部交換するようになった。

 

美ちゃんのパンツを履くと、堪らなく興奮してオチンチンが堅くなった。その頃のことに関する記憶はあやふやなものがあって、前後関係は確かじゃないのだけど、ちょうど同じ頃、近所の子供達数人で股間を見せあって遊んでいたことがある。

 

がどういうきっかけで始めたのかもよく覚えていないが、社宅の建物の裏とかで皆であつまって、それぞれ、ズボンやらパンツやら下ろして見せた。俺は小さい弟が一人いただけなので、女の子のあそこの形が興味深かった。

 

の子にはついてるべきものが無くて、そこにはただ縦の筋が一本あるだけだった。べつにそれを見てどうということは無かったのだけど、いつもドキドキしていたことだけは確かだ。

 

の頃の仲間に浅利ちゃんといういい子ぶってる子が一人いて(当然、彼女はそういうことには加わらなかった)その子の告げ口で(多分)彼女の母親にこっぴどく叱られ、その楽しみは終わってしまったのだ。でも、完全に終わったわけではなかった。

 

と愛美ちゃんは空き家で遊んでいるときに、二人だけで、下半身の見せっこをした。愛美ちゃんが言い出したとおもう。

 

美ちゃんは妹しかいなかったから、オチンチンが珍しかったのだろう。興味津々で、俺の前にしゃがんで、ものめずらしそうに観察した。

 

女は嬉しそうにつついたり引っ張ったりしていたが、そのうち、両手の親指と人差し指でオチンチンの皮を、根元に向けてギュウっと引っ張って、亀頭を完全に剥き出しにしてしまった。それまで、風呂上りに、皮をちょっとだけむいて遊んだことはあったが、なんとなく怖くて、完全に剥いたことは無かったので、ちょっとびっくりした。

 

も同時になんとなく気持ちよかった。人にオチンチンを触られることの気持ちよさを始めて知ったのもこのときだろう。

 

も、相変わらず興味津々で、そのときは愛美ちゃんの割れ目をもっとじっくりと見せてもらった。オシッコはどこから出るのかという俺の質問に、愛美ちゃんは段ボール箱に半うずもれたソファの端に腰掛けて足を開くと、ツルツルのあそこを両手で引っ張って、割れ目を開いて見せてくれた。

 

めて見る女の子のそこは不思議だった。たて筋だと思った場所は意外に複雑で、赤紫色のアサリ貝のようなものがついていてその真ん中はピンク色のくちゅくちゅとなって柔らかそうだった。

 

女は、「ほら、私のオチンチンは、ここに穴があるでしょ?ここから出てくるの」といってピンク色の部分に指を入れて見せた。彼女は自分の性器のことをオチンチンと呼んだ。

 

は、彼女が両手で広げたオマンコの入り口に顔を近づけてじっくり観察して、それから恐る恐るピンク色の部分をつついてみたが、指を入れる勇気はなかった。自分にとって非常に衝撃的なことが起こったのは、そんなある日のことだった。

 

のときのことは、今でも昨日のことのようにはっきりと覚えている。例によって、空き家で遊んでいたときのことだ。

 

美ちゃんはいきなり「ねえ、変な事してみたい?」と聞いてきた。俺にはいったい何のことを言っているのかその時には見当もつかなかった。

 

が、聞き返すと、「すごい変だけど、面白いかも」と、もったいぶって、教えてくれない。俺がそれじゃわからないといって、何回も問いただすと、じゃあ「やるっていったら教えてあげる」という。

 

奇心に引かれて「うん、じゃあやる」というと、「絶対だよ、すっごいへんな事だけど、本当にいい?」と念を押す。俺はなんか心配になって、「えー?愛美ちゃんもやるの?」というと、彼女は「うん」というので、俺は「じゃあいいよ」といった。

 

も彼女は、「えーとねー」「えーとねー」ともじもじしている。いつも、しゃきしゃきしている彼女にしては珍しい。

 

んざん躊躇した挙句の果て、俺に何度もせかされて、彼女は「私のオチンチンの中にリョウ君のをいれるの」と、恥ずかしそうにいうと、笑みをうかべながらおれの顔をうかがった。俺には彼女の言ったことが一瞬よくわからなかった。

 

像できないぐらいエッチなことだった。おれは考えただけで、興奮して心臓が張り裂けそうだった。

 

の頃は性の知識はゼロで、オチンチンを女の子の穴の中に入れるなんて事は、当然一度も考えたこともなかったし思いつきもしなかった。当然、そんなエッチなそんな行為が、この世の中では許されるはずが無いと思った。

 

も、やってはいけない事だと思うとますますやってみたくなった。なんか愛美ちゃんと二人で、秘密で悪いことをするということ自体、十分な興奮材料だった。

 

ういった思いが頭の中をぐるぐると巡っていた。もうそれだけで股間が張り裂けそうなくらいパンパンに張っていてずきずきと痛む程だった。

 

女がどうやってそんなことを思いついたのかは、今でもわからない。自分でやってみたいと思ったのか、あるいはどっかで、エロ本の類を見たのだろうか。

 

ずれにしても一番わからないのは、その次に起こったことだった。そのとき俺がどんな表情をしていたのか想像するよりないのだが、よっぽど恐い顔をしていたのだろうか。

 

るいは今は忘れてしまっただけで、俺が何かひどいことを言ったのだろうか。とにかく、その直後に彼女はわっと泣き出したのだ。

 

して彼女は家に帰ってしまった。俺は狐につままれたようなその気分だった。

 

れが、俺の乙女心のミステリーに遭遇した初めての経験だった。それから、暫く俺達はお互いを避けていた。

 

に子供の頃よくやった「絶交」とかいうのではなく、なんとなく気まずくてお互いに誘いに行かなかったというべきだろうか。それに、どういうわけかみんな缶蹴りもしなくなった。

 

親もあんなに毎日べったりくっついて遊んでいた愛美ちゃんとさっぱり遊ばなくなったので、心配して何かあったのかと聞いてきたが、俺は何も言わなかった。というよりも、とてもじゃないけどいえなかった。

 

休みになって、俺は、親戚の家に2、3週間くらい遊びに行った。毎年恒例の事でちょうど同い年と二つ上の従兄弟がいて、学校の友達よりも好きだったのでいつも楽しかった。

 

もその年は、愛美ちゃんの事が気になって仕方なかった。早く家に帰りたいと思った。

 

女が言った「すごく変なこと」に思いが及ぶと、股間がムズムズした。家に帰ると、さっそく愛美ちゃんの家に行ったが、彼女の家は留守だった。

 

のあと、数日さらに悶々とする日々が続いた。夏休みも終わりに近づき、宿題の黒雲が目の前に立ち込めていた頃だと思うが、愛美ちゃん一家が戻ってきた。

 

が悩むまでもなく、彼女の方から誘いに来た。彼女はもう恐い顔はしていなかった。

 

しぶりに二人で隠れ家の空き家に行った。俺は、夏の間じゅう何回も考えていた「変なこと」について言い出す勇気が無かった。

 

美ちゃんもわざとその話題を避けているようだった。俺達は、何も無かったように、例によって服を替えたりして遊んだ。

 

間を見せ合あってからも、お互いの前で裸になるのはなんとなく恥ずかしく、ダンボールの向こうとこっちというように隠れて服を脱いでいた。俺は、一人になってからも、「変なこと」のことを考えて悶々とした。

 

美ちゃんの「オチンチン」の穴に自分のオチンチンを入れる事を想像して一人でドキドキしていた。そして今度会ったら絶対その話をしようと決心した。

 

の次の日、愛美ちゃんにあうと、俺は勇気を振り絞っていった。「あの、前言ってたさあ」。

 

もそこまで言ってそこから先が出てこない。愛美ちゃんも同じ事を考えていたに違いない。

 

女が助け船を出してくれた。「あの変なこと?」と彼女がいうと、俺は顔が真っ赤になった。

 

女は「もういいよ別に、気にしてないから」といった。俺はきゅうに力が出てきて「そうじゃなくて、やるって約束したじゃん。だからやろう」といった。

 

女は信じられないようなかおをして、嬉しそうに「うん、やろう」といった。おれは、この時のことを大人になった今でも鮮明に覚えている。

 

女はパンツを脱いでソファーに座って足を曲げて、股を広げて、両手で割れ目を広げた。俺は、ドキドキしながらズボンとパンツを脱いで、彼女の前に立つと、カチカチになって水平に突き出したオチンチンを彼女の股間に持っていった。

 

ちに待った、待望の瞬間だった。夏の間何回も何回も頭に思い描いた瞬間だった。

 

は息遣いが荒くなった。俺は、彼女のピンク色の入り口にオチンチンの先を当てて、押してみた。

 

刻も早く中に入れたくて、あせって、ぎゅうぎゅう押してみたけど、なかなか入らなかった。頭の中で何回もリハーサルをかさねた筈なのに、うまくいかない。

 

の心臓は、興奮のあまりはちきれそうで、バックン、バックンという鼓動が全身につたわるのがわかった。愛美ちゃんも、緊張してるのか、「フゥーッ」と大きくため息をついた。

 

して、以前やったように、両手の指先で俺のオチンチンの皮をぎゅうっと後ろに押して、亀頭を露出させてから、自分の入り口にあてがってくれた。そこでもう一回ぎゅうっと押すと、今度は難なく中に入っていった。

 

らなくムズムズし、頭にカーッと血が上ってくらくらしそうだった。全部中に納まって、俺達の股間はぴったりくっついた。

 

美ちゃんは僕の方をみて、嬉しそうにニッコリ笑った。その瞬間、ムズムズ感が頂点に達し、俺の中で何かがはじけるような気がした。

 

は、オシッコか何かが漏れるんじゃないかと思ってあわててオチンチンを引き抜いた。鋭い快感が股間からキューッと押し出され、それが背筋をや両足を伝わって全身にひろがった。

 

して、お尻から股にかけての筋肉がギュッ、ギュッ、ギュッと痙攣し始め、そのたびに、なんともいえない快感が波のように広がった。オチンチンもそれにあわせて、ぴくぴくと波打ったが、心配したようなものは何も出てこなかった。

 

れが俺の始めてのオーガズムだった。なにが起こったのかわからない彼女は、心配そうに俺の顔を覗き込んで「どうしたの?」ときいた。

 

れは、「わかんないけど、何か漏れるかと思った。」といって、ハアハアと肩で息をしながら快感の余韻にひたっていた。

 

れからというもの、俺たちの興味のもっぱらの対象は「変なこと」に移った。もう「服替えの練習」もしなくなった。

 

校が終わってから毎日のように空き家に入ると、この禁断の遊びに夢中になった。俺達は精神的にもまだ思春期を迎えてなかったし、その時点で恋愛感情と呼べるものはまだ無かっただろう。

 

れよりもむしろ、そのときに俺達を「変なこと」に熱中させたのは、単純に好奇心と快感だけだったと思う。そのころ、他にそんなことをしていた子供がいただろうか?俺自信はどちらかというと何でも奥手の方で(中学二年まで精通が無かったし、声変わりは高校2年)、この遊びにしても、愛美ちゃんがいなければ思いつきもしなかったはずだし、じっさい大人の遊びをしているという意識すら全く無かった。

 

いうか大人がそんな事をするものだ、ということすら知らなかった。俺はどちらかというと、数々の悪い遊び(例えば創業停止した工場の窓に石を投げて割るなど)の一種のような感覚だったと思う。

 

一つの違いは、この遊びには肉体的な快感が伴っていたということだ。でも今考えると、愛美ちゃんは相当なおませちゃんだったのかもしれない。

 

女はそれに悪知恵にも長けていた。俺は基本的に素直でいい子だったので、自分から悪いことはあまりしなかった。

 

のころ、俺達は同じそろばん塾に行かされていたが、彼女にそそのかされて2,3回に一回はサボるようになった。俺は罪悪感にさいなまれたが彼女はへっちゃらだった。

 

ってきます」といって家をでてから、途中の駄菓子屋さんまで行ってそこで、おやつを買って、そのままUターンすると、見つからないようにこっそりと空き家にもどった。そして、時間を見計らって、何事もなかったように帰っていった。

 

れは、見つかる危険性はかなり高かったが、他にいい隠れ家がなかったからしょうがなかった。それに秋も深まって日が短くなってくると、もう帰る自分には真っ暗だったが、電気をつけるわけにも行かず、真っ暗闇あそんでいた。

 

い俺達のエッチは、大人のそれとはずいぶん違ったものだった。まず、前戯だの愛撫だのなんて面倒くさいものは一切無かった。

 

然キスもなかった。キスは大人が、好きな人するものだと思っていた。

 

からいやらしいと思っていた。裸になることも無かった。

 

なこと」を始めてからも、相変わらずスッポンポンになるのは何となく恥かしくて、俺達はパンツだけを脱いで、入れた。それから、セックスというものを知らない俺はピストン運動という概念が無かったので、最初の頃はオチンチンを愛美ちゃんの中に入れるだけだった。

 

も、それだけでムズムズして気持ちよかった。精神的にギンギンに興奮しきっていたうえ、愛美ちゃんがちょっとでも体を動かすだけでもオチンチンを十分刺激するので、そうこうしているうちに、俺はたいていイってしまった。

 

美ちゃんも、オチンチンを入れると気持ちはいいみたいだったが、まだいったことはなかったみたいで、俺がいく時どうなるのか知りたがった。でも俺には説明のしようが無かった。

 

から俺は行きそうになると、抜いて、オチンチンがピクピクなるのを見せてあげた。すると、彼女は喜んで、「もう一回いれて」といった。

 

うやって、俺たちは、何回もオチンチンを入れて遊んだ。その頃はまだ、射精が伴わなかったせいか、いった後も、オチンチンは堅いままだったと思う。

 

るいは柔らかくなってもまたすぐ復活したのかもしれない。とにかく二人とも飽きるまで、何回でもやった。

 

れに、入れようとしたけどフニャチンで困ったという記憶も一度もない。「変なこと」に関しては、愛美ちゃんが完全に主導権を握っていた。

 

しい体位を考えるのも彼女だった。最初のうちは愛美ちゃんが座って俺が立って入れるだけだったが、そのうち、他の体位も試すようになった。

 

るとき、俺がソファに座って、愛美ちゃんが俺の上にまたがるように向かい合って座って、入れていた。最初、腰の位置をいろいろずらしたりしていた愛美ちゃんは、そうすると気持ちいいのを発見したのか、自分の股間を俺の恥骨に押し付けて擦るような感じに前後にゆっくり動かし始じめた。

 

ばらくその動作を繰り返しているうちに、彼女の様子が変になったとおもったら、「あー、なんか、ねーなんか、あー」とか言いながら、きゅうっと全身に力を入れて体をそらしたかと思うと、そのあと俺の体にしがみついてきた。彼女の穴が俺のチンチンをギュッ、ギュッ、ギュッとリズミカルに締め付けてるのを感じたので、俺には、彼女がオーガズムに達したのがすぐわかった。

 

にしがみついたままの愛美ちゃんに「愛美ちゃんも、なったじゃん」といったが、彼女は何も言わずに、ただ肩でハアハアと息をしながらオマンコを、ビク、ビクと収縮させ続けていた。それからコツを覚えたのか、愛美ちゃんも徐々にいくようになった。

 

女は、いつも悩ましく腰を動かした。そして、行くときには、大きな声を上げるようになった。

 

くときだけでなく、その行為の最中も、気持ちよさそうな喘ぎ声を上げるようになった。それだけでなく、慣れてくると、入れながら普通のおしゃべりもするようになった。

 

かい合ってやる時の愛美ちゃんの表情は独特だった。気持ちが良くなってくると、彼女は体を動かしながら、切なそうな表情で俺の顔をじっと見た。

 

らによくなってくると、俺の顔を見ている視点が中に浮いた。そして、目をつぶるようになると、もういくのが近かった。

 

人になった今思うと、あの頃のエッチは自由で楽しかった。今みたいに、相手を気持ちよくさせることを考える必要もなかったし、次はどこを刺激したらいいのか、相手は感じているのか気にする必要もなあかった。

 

きそうになっても、相手のために持ちこたえさせようと、必死で数学の公式や恐い先生の顔を思い浮かべて頑張る必要もなかった。性感帯という概念も無かったし、当然クリトリスなんていうのも知らなかった。

 

美ちゃんは胸はまだ平らだったからそっちに気を取られることもなかった。とにかく俺達が知っていたのは、彼女の「オチンチン」の穴に俺のオチンチンを入れるという行為が気持ちいいものだ、ということだけだった。

 

から、俺達のエッチはただ、オチンチンをオマンコにいれるというだけの単純きわまりないもので、それ以上何も無かった。実際入れるだけで、十分気持ちよかったし、その行為自体がドキドキして、楽しかった。

 

ク」ということも、たまたま起こるだけで、それ自体は目的じゃなかった。大体考えてみれば俺はまだ精通もしてなかったから、たまったものを吐き出すという生理的な理由がなかったわけだ。

 

っさい、慣れてしまうと、彼女にオチンチンを入れたまま、普通のおしゃべりをした。学校のこと、友達のこと、家族のこと、テレビのこと、将来の夢など、愛美ちゃんと話したこと、を今思い出そうとすると、俺の上にまたがって喋っていた彼女の姿が思い浮かんでしまう。

 

初は、心臓がぶっ飛んでしまいそうだったエッチも、半年やそこら経つと、最初のような強烈な興奮は無くなって、どちらかというと、仲良しな子が手をつないで歩くのと近い感覚になったような気がする。冬になっても俺達の禁断の遊びは続いた。

 

考えると、毎日毎日よく飽きなかったものだと思う。他になにをして遊んでいたのかあまり記憶が無い。

 

もそれはエッチの部分だけ、強烈な印象を持ってるから、覚えていて、他のことは忘れてしまっているだけかもしれない。冬の空き家はストーブも何も無く、自分の家と隣接してるとはいえ寒かった。

 

も、俺達にとって、そこが安心して「変なこと」ができる唯一の場所だった。少し涼しくなった頃から、愛美ちゃんは、パンツの上にもう一枚ブルマーとか毛糸のパンツとか履いていたが、寒い時は、それらを脱がずにつけたまま、股の部分をぎゅっと横にずらして入れることも覚えた。

 

美ちゃんがスカートの下にタイツを履いているときは、そういう技が使えないので、仕方なくタイツをちょっとだけさげて、後ろから入れたりした。春になって、俺達にとって都合の悪いことが起こった。

 

き家に人が入ってくることになったのだ。それだけではなかった。

 

ちは、別の場所にある社宅に移ることになった。そこまで行くのに、子供の足であるいて45分、自転車を使っても20分はかかった。

 

からそれまでのように、簡単に会えなくなった。雨の日は完全にアウトだった。

 

れに、会っても以前のように、自分達の隠れ家がなかった。俺達がいつも一緒に遊んでいたのを知っているので、親達も気の毒がって、週末にお互いのうちに泊りに行くことを許してくれた。

 

抵は愛美ちゃんが俺のうちに遊びに来た。)これは俺達にとってすごく都合がよかった。

 

度の社宅は前よりも広く子供部屋があった。その頃、弟はまだ母親と一緒に寝てたので、俺と愛美ちゃん二人だけで布団を並べて寝ていた。

 

初の頃は、楽しくて明け方まで寝られなかった。別にエッチをしてというわけではなく、一緒にいられるのがお互い嬉しかったのだ。

 

も当然エッチも沢山したことはいうまでも無い。あと、愛美ちゃんがうちに泊まりにきたときは一緒にお風呂に入った。

 

の両親は俺達が子供だからいいと思ったのだろう。俺の母親は、2歳の弟と愛美ちゃんと俺を一緒にお風呂にいれてくれた。

 

れは変に思う人もいるかもしれないが、俺の家では、そうでもないのだ。実を言うと、俺は高校2年くらいまで下の弟と母親と一緒にお風呂に入っていた。別に性的なことは何も無かったし自分の家族としては違和感なかったんだが)とにかく全裸の愛美ちゃんを見たそのときが初めてだ。

 

親は大抵、弟を連れて先に出してしまうので、俺達二人だけが残されることがよくあった。そうなったら俺達がやることは、あれしかなかった。

 

の日、お風呂で二人っきりになった俺達は、お互い湯船の中で向かい合って座り、愛美ちゃんが俺の腰に脚を回すような格好で入れていた。暖かいお湯の中だといつもと違うせいか、二人とも気持ち良くてすぐいってしまった。

 

まり楽しかったので、ずっとやり続けていた。でもちょっと調子に乗りすぎてしまった。

 

ばらくして、いつまで経っても風呂から出てこないので心配して母親が様子を見に来た時は、二人とものぼせて、湯船の中でぐったりしていた。俺は、母親の叫ぶ声と、父親に抱かれて運ばれているのをおぼろげながら今でも記憶している。

 

で聞いた話だと、母親が発見した時、湯船のなかで、愛美ちゃんは俺の上に覆いかぶさるようになってたらしい。子供達が二人で仲良く抱き合って気絶している姿を、微笑ましいとさえ思ったのだろうか、母親はさんざん「あんた達は、本当に仲いいんだから」といって俺達をからかった。

 

達は、子供たちが気絶するまで湯船の中でセックスをしていたなんて想像すらできなかったに違いない。ページ:12345

 


 

 


 

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