親戚の女はみんな俺のオナホールw母親や叔母とセックスしまくて性欲を満たす変態男の告白


 

 

12月5日(日)。
僕にとって日曜日は、一日中叔母と一緒に過ごすことができる週で一番楽しみな日です。
 

 

(イメージイラスト1)

 

そのため土曜日のうちに家事や買い物などの雑用はできる限りやっておくのが習慣になっていて、僕でもできることは手伝っていたりします。
そうして迎える翌日曜日は、解放感一杯というか何というか(さぁて、今日は思いっ切り抱きまくるぞぉ~!!)という感じで、みしみしとチンポにチカラがみなぎってきます。
 

 

マンションはキッチンの他に3部屋あり、そのうち寝室として使っている部屋は防音室になっています。
亡き叔父がジャズ鑑賞が趣味で、大音量でCDを聴くため、マンション購入時に防音工事を済ませてから入居したのです。
 

 

(イメージイラスト2)

 

方の壁、天井、床、ドアはもちろん窓ガラスも二重サッシの防音施工で、部屋の外に声が漏れる心配がないと同時に、外からの雑音も一切部屋に聞こえてこないので、外界から隔絶された世界にいる感覚になります。
そのためこの部屋では何でもアリな気分になってしまい、大きな声で叔母に卑猥な行為を命令をしたり、抵抗する叔母の手首を縛って×××プレイを愉しんだりなど、叔母をいじめて泣かせたことも何度かあります。
 

 

チンポにホイップクリームを塗りたくってしゃぶらせたりとか、AVを見てやってみたくなったことは結構色々やったりして、ある意味思い出が一杯の部屋なのです。
いつものごとく叔母は録りためたテレビドラマを観ると言い出したので、僕も渋々お付き合い(好きなドラマの好みが違うので)。
 

 

テレビの方に向いてベッドにもぐり込み、体勢完了。
いつもなら叔母がドラマを観ている間、僕は叔母のお尻やオッパイを触ってヒマつぶしをするのですが、今日は、「ねえ、入れたいよ~」と、せがみました。
 

 

母も早くドラマを観たいものだから、「もう!わがままなんだから!」と渋々ながらもすぐに承知。
一旦体を起こした叔母が僕のチンポを口にくわえて唾液で濡らしたあと、僕はバックで叔母の中に挿入し、そのまま叔母をまた寝かせました。
 

 

これは勃起したチンポを挿入しっぱなしにするだけで、動かしたりしないので、セックスとはちょっと違います。
変わっているのかも知れませんが、僕はこれが心地良くて大好きなんです。
 

 

偶然にも、僕と叔母はぴったりジャストサイズです。
と言うのは、僕のチンポを根元まで叔母の中に挿入すると、膣の一番奥にピッタリちょうど届くのです。
 

 

長が20cmも違うのにと思いますが、女の深さには、その位の身長差がむしろちょうどいいのかも知れませんね。
叔母の中に勃起を収め、自由に動かせる右手で叔母の乳首をもてあそび、何となくテレビ画面を見ながら、(あ~、ドラマ早く終わらないかなぁ。早くフェラチオさせたいなぁ。・・・それにしてもこの4年ちょっとで、叔母さんはずいぶん変わっちゃったなぁ。)などと思ったりしていました。
 

 

自分の夫にすら2~3回しかフェラしたことがなかった叔母なのに、今ではためらうことなく僕のチンポをくわえるようになったのですから。
まあ、もちろん僕が叔母を変えた張本人なわけですが。
 

 

そんなことをボンヤリ考えているときに、実家の母から電話がかかって来たのです。
叔母がベッドから出て電話を取りました。
 

 

つも日曜の楽しみ中に割り込んでくるのは、母の電話です。
15分ほどで電話を終えた叔母が、「あ~どうしよう、姉さん金曜に来て泊まるって」と言ったとき、僕は驚いて思わず「え~!!」と叫んでしまいました。
 

 

今回の同窓会は東京が会場で、土曜の会のため金曜に来て、金土の2晩泊まって日曜に帰るということでした。
まるで悪夢のようです。
 

 

叔母との生活が始まって約4年半、最大のピンチです。
僕と叔母のこの生活を、母がこのマンションに来て、泊まって、何も感じないわけがありません。
 

 

し母が何か異常を感じたら、僕にとって最高に楽しいこの生活が一気に終わってしまう危険があります。
しかし心配ばかりしていても仕方がありません。
 

 

この生活を続けるためには、何としても無事やり過ごさなければなりません。
まずは部屋の模様替えからです。
 

 

当然、僕と叔母は別々の部屋で生活していなければならないので、生活用品の全てを分けて「僕の部屋」をつくらなければなりません。
足りないものは買わなければなりませんし。
 

 

して、これが一番大変なのですが、僕と叔母の言葉使いや話し方です。
本来、叔母のことは「ゆみ子叔母さん」
「叔母さん」と呼んでいたので、当初は「ゆみ子」と呼び捨てにするのがかなり気恥ずかしかったものですが、現在では「ゆみ子」
「ゆみ」
「ゆみちゃん」と呼ぶようになって久しく、今さら「ゆみ子叔母さん」などと呼ぶのは、逆に気恥ずかしくなってしまっているので、元に戻すのが大変なのです。
 

 

多少の気安さはあっても、基本的に叔母に対して敬語で話さなければならないので、ぎこちなくならないように練習です。
そして、当然のことながら2晩も叔母を抱くことができないので、とてつもなくキツイです。
 

 

12月10日(金)母は叔母の帰宅に合わせて到着し、僕は母の到着前に外出しました。
バイトをしていることになっているので。
 

 

しでも3人で一緒にいる時間を短くしてリスクを低くするため、「今日はバイト仲間と飲んでから帰るので遅くなる」という筋書きになっています。
映画を観て食事、買い物と時間稼ぎをして午後11時頃帰宅。
 

 

母と叔母はビールを飲んでおしゃべりしていたらしかったが、僕の帰宅をきっかけに順番に風呂に入りはじめ、1時過ぎには就寝となりました。
母がどこで寝るかが問題でしたが、予想通り「僕の部屋」で寝ることになりました。
 

 

3部屋あるのだからそれぞれ1部屋ずつ、といきたいところですが、うち1部屋は整理箪笥、洋服箪笥などの大型家具をまとめて置くための倉庫的な部屋として使っており、布団を敷くスペースがないのです。
叔母の部屋で母と叔母が一つのベッドで寝るのも変ですし、結局、僕の部屋に2組布団を敷いて親子で寝るのが一番自然だというわけなのです。
 

 

は「なんだか、旅行に来たみたいでワクワクしちゃう」とかなんとか言って布団に入ってからもしばらくはしゃいでいましたが、僕にとってはとんでもなく迷惑な話です。
普段の金曜なら、叔母を全裸にむいて思う存分抱き合っている時間なのですから。
 

 

やがて母は眠りについて静かになりましたが、僕のチンポは叔母の体を求めて疼きまくり、母に対する怒りがどんどんこみ上げて、ますます目が冴えてしまいました。
キッチンでビールを飲み直し頭を冷やしてから、再び寝床についたのですが・・・。
 

 

何と!そこで僕は我慢の限界を超えてブチキレてしまったのです!ブチキレた、というと逆上して怒りが爆発したように聞こえてしまいますが、僕の場合は全く違うキレ方で、何というか喜怒哀楽が無くなってしまうのです。
プッツンしてしまった僕は、真っ暗闇の部屋の中を手探りしながら母の布団へ行きました。
 

 

の部屋もそうなのですが、カーテンは2重で内側は分厚いのを使っているので外の明かりはほとんど入らず、電気を消してしまうと部屋は真っ暗です。
僕は何の躊躇もなく母の布団に入り込むと、いきなり母の体を抱き締めました。
 

 

完全にキレてしまっている僕は、自分のしていることは理解しているのですが、心が全くの無反応状態になってしまっていて、母と遠い距離があるような感覚の中、異常なほど冷静に、かつ無表情で行動していました。
母はすぐに目を覚ましましたが、暗闇の中、何がどうなっているのかすぐには理解できないようでした。
 

 

僕は母の寝巻の裾から手を滑り込ませると、そのままノーブラの母の乳房に手をあてがい、ゆっくりと揉みはじめました。
叔母の乳房も結構大きいほうですが、母は中年太りのぶん、さらにボリュームがありました。
 

 

イッ、グイッ、と乳房を揉んでいると、少しして母が、「あれれっ?・・・ジュン君かな?」と、ちょっと探るように呼びかけて来ました。
しかし僕は返事をしません。
 

 

母は戸惑っているようですが、僕の手を払ったりするような抵抗などはせず、そのままの姿勢で僕に揉まれ続けています。
(もしかしたら母親って自分の子供に胸を触られるくらいでは、それほど驚かないのかも知れない)とその時思いました。
 

 

母が「あれっ?ジュン?・・・ちょっと、ねえ、聞こえてる?」と再び呼びかけて来ましたが、僕は無反応です。
僕が全く返事をしないので、「あららら・・・、ちょっとどうしちゃったのかしら・・・これは困ったわね・・・」と、母は焦りはじめました。
 

 

とでつくづく思ったのは、この時の僕の行動は、真っ暗闇の中だったからこそ出来たのだということです。
母と叔母はもちろん似てはいますが、今まで僕は母に性的な興味など持ったことがありませんでしたから。
 

 

母の焦りをよそに、僕はグイグイと強くオッパイを揉みしだきながら乳首をもてあそび、さらに半勃ちのチンポを母のお尻に押し付けました。
されるがままになっていた母もさすがに「えっと、えっと、ちょっ、ちょっと待って、待って!」と押し殺したささやき声をあげて身をよじり出しました。
 

 

母は叔母に聞こえないようにとささやき声で話していて、防音寝室にいる叔母に聞こえるはずがないことを知らないようです。
僕は、身をよじり出した母の体に覆いかぶさって体重をかけ、押さえ込みにかかりました。
 

 

は「あっ!、あのさ、あのさっ」と小さく叫ぶと、いよいよ追い詰められてもう後がないと思ったのらしく、「じゃあ、じゃあ、こうしよう。
ねっ!ねっ!」と言いながら、トランクスの上から僕の勃起をギュッとにぎってきたのです。
 

 

僕は動きを止めました。
母の言う「こうしよう」が、どういう意味かすぐに分かったからです。
 

 

僕は母の体から降りて、あおむけに寝ました。
母は起き上がり、手探りでティッシュボックスを手元に引き寄せ、僕のトランクスを脱がしました。
 

 

も母も無言です。
すぐに母の手が僕のチンポをにぎって来ると、ゆっくりと上下にシゴキはじめました。
 

 

僕のプッツン状態は徐々になおってきました。
母の顔の表情は見えませんが、体の輪郭と手の動きはぼんやりと見えます。
 

 

完全に勃起して硬くなると、チンポをにぎるチカラが強くなり、シゴくスピードがグングン早くなってきました。
それと、母はもう片方の手で亀頭をにぎったり、揉んだり、こすったり、キンタマ袋をもんだりして刺激を加えてきます。
 

 

直なところ、母のこの手コキで僕はあっという間に射精感がこみあげて来ました。
普段、叔母には、チンポを硬くするための手コキしかさせていません。
 

 

チンポがある程度の硬さになったら、すぐ口にくわえてもらうからです。
それにしても、手コキだけでこんなに気持ち良くなるなんて初めての経験です。
 

 

母はかなり手慣れているようで、いまだに親父にもこういうサービスをしてあげているのが分かりました。
僕は懸命に射精をガマンしましたが、結局7~8分くらいしか持ちこたえられず、ドクドクッと発射。
 

 

闇にもかかわらず、手際よくティッシュで受け止めて処理した母は、無言のまま部屋を出てトイレに捨てに行きました。
部屋へ戻って来た母は自分の布団に横になり、僕も自分の布団に戻って横になりました。
 

 

結局、母の「じゃあ、じゃあ、こうしよう!」という言葉を最後に、僕も母も一切口をきくことなく眠りにつきました。
12月11日(土)翌日は、さすがに母と顔を合わせる勇気がなくて、母が散歩ついでの買い物に叔母と一緒に出かけるまで、眠っているフリをしていました。
 

 

僕は2人が出かけてから外出して、母が夕方同窓会に行くまで、また外で時間潰しです。
母が出かけた頃を見計らって帰宅。
 

 

飯の支度にかかろうとしていたエプロン姿の叔母の「お帰りなさい」の一言に欲情した僕は、叔母を抱き上げて寝室へ。
「あ~ゆみ子~、ゆみ子ゆみ子~、ゆうべは寂しかったよぉ~」と叫びながら、叔母の体を強く抱き締めてキスの嵐を浴びせました。
 

 

「あ~もう、マジですぐ挿れたいから!」と、叔母のスカートをまくり上げてパンティーを引き下ろし、チンポを挿入しようとしました。
叔母は慌てて、「ちょっと、まだあれだから・・・もう!」と言いながら、急いで自分の手に唾液をつけて股間へ。
 

 

僕は「いいから、もうガマンできねえよ」と、まだ充分な濡れ具合になっていないまま、体重をかけてチンポを挿入しました。
久しぶりで叔母の体を満足いくまでたっぷりと味わい、終わってみると3時間経っていました。
 

 

の間、僕は昨夜の母とのことを完全に忘れていました。
同窓会を終えて母が帰ってきたのは、深夜1時過ぎ。
 

 

僕は母と顔を合わせる勇気が出なかったので、早々に部屋の電気を消して布団に入っていました。
約1時間後、風呂を終えた母が部屋へ入って来たとき、僕はまだ眠れていませんでした。
 

 

昨夜のことについて何か話しかけられるのではないか、と今更ながら怖くなってビクビクしていたのです。
まるで昨夜の続きのように、母は無言のまま布団に入りました。
 

 

ころが・・・。
布団に入って1~2分経ったころ、母が酔った声で、「イタズラしちゃ、ダメよ」と言ってきたのです。
 

 

母のこの一言で状況は一転しました。
酔っぱらっている母がどういうつもりでそう言ったのかは知りませんが、僕にとってその言葉は引き金となりました。
 

 

僕はすぐに母の布団に滑り込み、母の体に抱き付きました。
ためらうことなく寝巻の裾から手を入れると、手の平の中央に乳首が来るように手をあてがい、母のオッパイをしっかりとつかみ、揉みました。
 

 

夜と全く同じです。
「あっ、こらっ!今ダメだって言ったのに!」僕はプッツンしてはいませんでしたが、直感的にこのまま続けても大丈夫だという絶対的な自信がありました。
 

 

母は叔母と性格が似ていて、余程のことがない限り騒ぎ立てることはないだろうと思ったからです。
うまく事がはこんだ昨夜を踏襲すべく、僕は無言作戦で行くことに決めました。
 

 

「こ~れ、離しなさいって!ちょっとジュン、・・・あら~、もうどうなっちゃってるのかしら、この子は~」と言いながらも、やはり母は一切抵抗しないので、オッパイは揉みたい放題です。
もう、昨夜のように母が自ら手コキを提案してくるのは時間の問題です。
 

 

が母のパンティーに手を差し込んでお尻を触り始めると、母はにわかに慌てて、「こらこらこら!ちょっとちょっと、ねえねえ、・・・お母さんにどうして欲しいのよ~?」ここで一気に追い詰めようと、僕はお尻を触っていた手を股間に移動させようとすると、さすがに母の手がそれを止めて、「もう、もう、分かったから、分かったから・・・」。
母がついに観念しました。
 

 

思った通り、昨夜と同じ展開になりました。
トランクスを脱いで待っていると、すぐに母の手がチンポをにぎり締めて来ました。
 

 

母の肉厚の手にギュッと強くにぎられて、絶妙なリズムでシゴかれると、たちまちチンポはガチンガチンの硬さになりました。
昨夜は初めて体験した母の手コキに10分も持ちませんでしたが、今晩は数時間前に叔母を抱いているので、かなりの時間耐えられる自信があります。
 

 

の手コキの技をたっぷり楽しめるのです。
母のもう片方の手が亀頭をにぎり、回転させるような愛撫が始まると、思わず声が出そうになりました。
 

 

母の両手から次々と繰り出される手コキ技の快感に必死に耐えること20分(くらい)。
母は時折シゴく手を交代させていましたが、次第に交代の頻度が多くなって来ました。
 

 

さすがに手が疲れてきたようです。
そして・・・。
 

 

の後、奇跡的な展開が待っていたのです!母は疲れた手を頻繁に交代させて僕のチンポをシゴいていましたが、僕の予想外の頑張りについに手が止まってしまいました。
母の「ふぅ~」と息をつく音が聞こえてきた数秒後・・・。
 

 

ぼんやり見える母の上体が僕に覆いかぶさって来たように見えた瞬間、なんと!僕のチンポは母の口にくわえられたのです!「うあっ!」僕はたまらず声を上げました。
手コキをギリギリ耐えていた状態だったので、突然の予想外の母のフェラチオで一気にこみ上げ、そのまま母の口の中にドピュドピュドピュッと、もの凄い量の精液を出してしまいました。
 

 

母は「ん~」とうめきながら素早くティッシュを取り出し、口の中の精液を処理したようでした。
僕は強烈な快感で放心状態でした。
 

 

臓のドキドキが激しく、おさまるまでにかなりの時間がかかりました。
その間、母は黙って後始末を済ませ、寝床につきました。
 

 

僕も無言で布団に入りましたが、真っ暗闇の中だったとはいえ母のフェラチオで、しかも口内射精という強烈すぎる体験に興奮して一睡もできませんでした。
12月12日(日)朝になってからようやく眠りについた僕は、午後に目が覚めて、母が夕方帰る予定を早めて午前中に帰ったことを叔母から聞き、少しホッとしました。
 

 

さすがに母も僕と顔を合わせることができなかったのでしょう。
母は僕とのことを父に漏らしたりすることはないと思いますが、ただ一つ心配なのは、僕が2晩連続で母に仕掛けたような行為を、普段叔母に対しても仕掛けているのではないか、という疑惑を母が持ってしまう可能性はあります。
 

 

して今後、母が僕と叔母を引き離す方法を考えるかもしれません。
母がそう出て来たときに、どうするか・・・。
 

 

早めに対抗策を考えておく必要があります。
しかし、ともかくまた叔母と2人きりの時間が戻って来たので、心配事は後回しにして今は思い切り叔母とのエッチを愉しみたいと思います。
 

 

母のスゴ技手コキも叔母に特訓しなければなりませんし。
 

 


 

 


 

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