今ではおそらく全国でも数えるほどしか残っていないであろう共同風呂。
銭湯ではないので費用負担は無い代わりに補修や掃除は地域で分担して行います。
僕が育ったのは元炭鉱の町でしたので、こうした施設が有りました。
当時から各家庭に風呂が有る中で存在を疑問視する声もあったのを覚えています。
まあ今でも存続しているので、単なる年寄り向けではなく、裸の付き合いを通じて子どもと老人の世代間コミュニケーションなどメリットが大きい事も有ります。
今はみんなが同じ道に進むわけではないのですが、やはり地域の連帯感が生まれるのは良いものです。
前置き長くなりましたが、僕はここで子供の頃勉強させてもらいましたが、図らずも最初は母と体験する事になったのでした。
勘の良い方はお気づきの通り、こういった場所には表の顔と裏の顔があります。
昼間は老人と子供中心ですが夜は大人の社交場となるわけです。
男湯と女湯が分かれているのですが、別に無視しても良い程度のもので、家族風呂として利用する人も多いですし、夜は夫婦同士が楽しく入っているような感じです。
小学校高学年くらいだったと思います。
当時僕は優しいお母さんに甘えてばかりで、その日も学校から帰って鞄を置くなり階下のお母さんの傍に行き、肩揉んであげると言いながらしまいにはおっぱいを揉むような事をしていた。
お母さんはゆっくり僕のちんちんを確かめ、「こんなに大きくしちゃっていやらしいのね」とくすくす笑っていましたが、「そうだ、今日共同風呂に入りに行きましょうか」と誘ってきました。
家の風呂で良いのですが断る理由もなく一緒に行きました。
男湯に行こうとしましたが、お母さんに「今日は一緒に入ろう」と言われ女湯に。
脱衣所のような場所には数人分の衣類がありました。
近所のじいさんとおばあさんだろうなと服を脱いでお母さんを待っていると近所のおばさんから、「あら珍しい。一緒に入りに来たの」と声を掛けられた。
他にも4人ほど先客がいるらしい。
お母さんの裸を見るのが嬉しくておっぱいを後ろから優しく揉んでいると、お母さんがちんちんを揉んでくれ、しばらく気持ち良くなっていました。
「さあ、行こうか」と言われ、タオルでちんちんを隠しながら入って行きました。
中ではおばさん達が談笑しながら入浴しており、僕らを見るなり手招きで湯船に誘ってくれました。
湯船に入る際にはタオルを外すため、元気の良いちんちんがおばさん達の前に。
「わあ、お兄ちゃんちんちん立派になったね」とみんなに茶化され、いじられました。
「さっきお母さんのおっぱい揉んでたもんね」「いつもお母さんにしてもらうの?」「ほらあたし達のおっぱいも捨てたもんじゃないでしょ。触ってみる?」と可愛がってもらいました。
「ちんちん突き出して見せて」と言われ、立ち上がって恥ずかしかったですが突き出して見せました。
早速一人のおばさんが横から手でしこしこ揉んでくれ、「もうお母さんと体験した?」と聞かれ、僕が何を聞かれたか理解できないでいると、「まだなんですよ。最初が私じゃどうかと思いまして」とお母さんが応えてくれました。
「あらそうなの。じゃあ誰が良い?」とおばさんは僕に聞いてきたので、ショートヘアの密かに憧れていたおばさんに視線を送りました。
「決まりね」とおばさんは僕のお尻をその人の方へ押してくれ、その人の口元にちんちんを向けてくれました。
きれいな唇でちんちんにキスしてくれた後、しばし初めてのフェラを体感。
すぐに射精してしまいましたが、みんなの前で精液を披露してくれた後みんながキャーキャーとはやし立てる前で、「良いのよ気持ち良いでしょ。もう一回、今度はゆっくりね」と咥えくれ、勃起したちんちんを股間に導いてくれました。
しばらく腰を振っていたのですが、急に僕を抱いてくれ、「最後はお母さんにしてあげて」とキスされました。
「えー、そんなつもりじゃないんですよ」と戸惑うお母さんでしたが、「ここまで来て何よ。ちゃんと大人になったんだから受け止めてあげてよ」とおばさん達に説得され、お母さんとやることができました。
最初の中出し体験でありましたが、出し終わった後もお母さんの体が気持ち良くて仕方が無いので、おっぱいを吸い、体中を舐め回していました。
「良いわね元気な男の子がいると」とおばさん達にはあきれられていましたが、「そろそろ帰ろうね。のぼせちゃうから」とお母さんに促され、勃起したまま共同風呂を後にしました。
外は夕暮れ時で火照った体に涼しい風が気持ち良かったです。